2006-01-01から1年間の記事一覧

かなしさが疾走するコード進行

かつて、インテリの代表選手のような小林秀雄大先生は、モーツァルトの音楽を評して、「確かに、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」という美しすぎる文章を残しました。このあまりに見事なフレーズを僕はいただかないではいられず、「君…

We wish a merry Christmas

もうすぐクリスマス。所帯持ちとなった今でこそ、この時期をサイレントでホーリーな気分で迎えられるようになったけど、学生時代はクリスマス→正月→旧正月→バレンタインと立て続けにラバーズイベントが到来するこの時期は、いつもにも増して独り身が身にしみ…

謎の3人組の演奏にぶっとぶ

琉大祭の準備に追われていたある日、後輩のO野たちと教養棟のピロティ近くを歩いていると、突然、ピロティで練習する謎のバンド(3人組)と出くわしたことがありました。 ドラムとベースとギターから成るその3人組のバンドがピロティに設置していた機材は…

プロモーションビデオを作る

僕が3年生のときの琉大祭(‘85年)では、「司会の代わりに幕間にバンド紹介のビデオを流したらどうか」という誰かのアイデアで、出演バンドがそれぞれ1分程度のプロモーションビデオ(?)を作ることとなりました。 僕はその時、T念やK花やI田さん、…

10日ぶりのシャワー

琉大祭の準備もいよいよ佳境に入ってくると、作業も深夜におよぶこともしょっちゅうで、そのまま会場である教養棟の教室に寝泊りする部員も少なくありませんでした。 僕もなんだかんだ忙しくってフロに入る気さえ失せてしまったことがあります。今だったら加…

War is over,if you want it

その日、いつものように高校から帰宅した僕は、いつものように夕食を食べながら、いつものように古谷綱正氏がキャスターを務める「ニュースワイド」をぼおっと眺めていました。「こんばんは、古谷綱正です」。 すると突然、画面の肩にジョンの顔写真が映し出…

野外ステージのおもいで(3)

先日の記事で書いたとおり、僕らがこしらえた野外ステージは、立てばぺこんぺこんと足元が揺れる程度の素人普請だったけれど、これにドラムや機材を置いて照明をあてればなかなか見事なものでした。 このステージに立ったのは、PR目的もあってかコピー曲を…

野外ステージのおもいで(2)

野外ステージの建築作業もいよいよ大詰めというある晩のこと。東の方角から一人の無表情男が全速力でまっすぐに僕らのいるステージの方へ駆けてくるではありませんか。たったったった。 すると次の瞬間、無表情男は僕らのいるステージのちょうど真下あたりで…

野外ステージのおもいで(1)

'83年〜84年の琉大祭では、僕らはメイン会場とは別に、図書館前に野外ステージを組み立てて、期間中の夜はそこでコンサートを開くということもやっていました。 この野外ステージというのが、幅10メートル×奥行5メートル×高さ1メートルはあろうかと…

通り過ぎていった輝きと痛みの日々

本日のタイトルは、僕が作った琉大祭PRのための立て看のためのコピーの一部。全文は、 "通り過ぎていった輝きと痛みの日々、 でも、僕にはあの歌があった、あのヒーローがいた・・・" というもの。 このコピーを、白い紙に黒の絵の具だけで描いた大好きなビー…

国際通りを練り歩く

僕が1年生だった‘83年まで、琉大祭をPRするための「国際通り練り歩き」という一大イベントが、全サークルの参加によって行われていました。本パレードは、残念ながらその年を最後に翌年から廃止になってしまったのですが、あれだけハチャメチャな学生パ…

「琉大祭」終わったんですね

明日から師走。後輩諸君の「琉大祭」準備も、いよいよ大詰めといったところでしょうか・・・。 とここまで書いて、念のため「琉大祭」をキーワードにググってみたら、な、なんと「2006琉大祭日程10月7日〜8日」となっているではありませんか。 はっ?い…

3大学ファッションセンス・ランキング

僕が在学していた‘83年〜’87年当時の琉大生の服装については、学内外から「琉大ファッション」と揶揄されるほど、そのダサさには定評がありました。 たしかに、RFCにおいても「島ぞーり&トレーナー&ジャージ」という装いで通学はおろかステージにま…

吉田秀和氏の叙勲を祝う

今日は、先日、文化勲章を叙勲された音楽評論家、吉田秀和氏の話題です。はっきりいって、ほとんどRFCとは関係のない話題ですが、「音楽ネタ」ということで、どうかご容赦ください。 学生時代から現在にいたるまで、氏の著作を愛してやまない僕としては、…

「つま恋」、それから「かぐやひも」

人生における後悔には、「してしまったことによる後悔」と「しなかったことによる後悔」の2種類があるといいますが、人生に与えるダメージとしては、後者の方がより大きく、しかも深刻です。 それなのに、僕はまたひとつそんな後悔を重ねることになってしま…

スタッフ分担

僕が在籍していた頃のスタッフ分担には、①PA②セッティング③照明④進行⑤受付の5つがありました 在部中、僕が担当していたのはセッティング。入部当初、先輩から「お前はセッティングをやってくれ」みたいに割り振られて以来、卒業までずっとセッティング。…

G堅さんとユヌスさん

「幸福になる最良の方法は、他者の幸福に貢献することである」。 何かの折に読んで以来、強く印象に残っていることばです。それから「人が一生を終えて、後に残るのはその人が集めたものではなく与えたものである」ということばもそう。それから「世の中から…

K村さんの珍芸

K村さんは僕より1コ上の先輩で、ドラムの腕前はそれはそれはたいへんなものでした。それについては、きっといずれ本ブログで書くことになると思うし、書かなければならないと思うけど、今日のお話しは、そのドラムの腕前とはまったく関係ないK村さんの「…

ママレモンを飲む

入学から卒業まで住んでいた男子寮では、10人が「1ユニット」という単位で台所や洗面所などを共用していました。当然、共用の大型冷蔵庫には10人分の食料やら飲み物やらが貯蔵されることになるのだけど、各自がストックする食料品の量については明確に…

テレビ出演のコツ

5大学の実行委員長をやった時、PRのためにOTVが放送するローカルの情報番組に30秒ばかし出演させていただいたことがありました。当時の僕はビデオはもとよりテレビも所有してなかったので、後輩のA津にモニターをお願いしていたところ、テレビを見…

 何か言い残しているようで

「名曲紹介」なんてタイトルをつけながら、「曲名失念」というのもなんだか格好悪いけど、この曲は本ブログにもたびたび登場するF原さんの手によるオリジナル。 ”もう行くのかい 送らないから 元気で 優しさなんて じゃまになるだけ 今日までふたり ぎこち…

コンパの思い出(5) おおプレネリ

誰が始めたか知らないけれど、僕が在籍していた頃のコンパでは、よく「おおプレネリ」による替え歌自己紹介を行っていました。例えば僕の場合だと、 ♪おおプレネリ あなたのおうちはどこ〜 私のおうちは 小林なの〜 きれいなおうちの となりなのよ〜 やっほ…

創部以来の関係者の人数をムリヤリ計算する

前回の話の続きです。 仮に琉球大学フォークソングクラブ(RFC)の創設を1970年(根拠なし)、平均在籍部員を40人(根拠なし)、平均入部数を10人(根拠なし)とすると、2006年現在のRFC関係者はいったい何人になるのでしょうか。算数が苦…

琉球大学フォークソングクラブはいつ創設されたのでしょう

琉球大学フォークソングクラブ(RFC)って、いつ頃創設されたのでしょう? 僕が入部した’83年当時、コンサートや合宿など主だった年間ルーティンはすでに確立していたし、PA機器やアンプなどの機材もかなり充実していたことを考えれば、その時点でも…

そろそろ夏も終わり

日中はまだまだ暑いけど、朝晩はめっきりすごしやすくなりました。今年の夏もそろそろ終わりですね・・・。 さて、RFCにおける夏のイベントといえば「ビーチ・パーティ」と「夏合宿」ということになりますが、実は僕、夏合宿に参加したのは、部長を務めた3年…

献血部隊集結せよ

集会が終わったある晩のこと。いつもどおり部員何人かとそのまま部室に残ってダベっていると、あらわれたのは慌てた様子のN島さん(たしか)。 きけば、「医学部附属病院が緊急手術のためB型の血液を大量に必要としている。血液型B型の学生はただちに医学…

 セレスチュアル

同期のO山のデビューはあまりに鮮烈でした。 いっしょに入部してきたH尾やY田らと入部後初めての学内コンサートで演奏したのがマイケル・シェンカー。もちろん携えていたのはあの「フライングV」。このような瞬間のO山は、間違いなく自分に酔うことので…

 うりずんの島

同期のN曽根がコピーしてよく弾き語っていた曲。ただし楽曲はオリジナルではなく、地元ミュージシャンの誰かによる楽曲。 ”返してくれ あの うりずんの島を・・・” ふだんのN曽根は、顔は間寛平そっくりだし、いつもおちゃらけていたし、僕の代わりに数学のテ…

「部長を楽しめ」

これは僕が琉大フォークソングクラブ(RFC)の部長をやっていたときに、僕の前任の部長だったF原さんがかけてくれた言葉。 部長という役職にほとほと疲れ果てていた僕を見るに見かねたのでしょう。ある日F原さんが僕にアドバイスしてくれました。「なあ…

U崎のダンディズム

同期のU先は、自作の歌をギター一本で紡ぎ出し、歌を歌えば音程は定まらず(ごめん)、安吾の「堕落論」を愛読し、コンパのときは、静かににこやかに人の話に耳を傾け、とことん酒にはつき合い、決して多くを語ろうとはしませんでした。 おまけに僕らの年次…