3大学ファッションセンス・ランキング

 僕が在学していた‘83年〜’87年当時の琉大生の服装については、学内外から「琉大ファッション」と揶揄されるほど、そのダサさには定評がありました。
 たしかに、RFCにおいても「島ぞーり&トレーナー&ジャージ」という装いで通学はおろかステージにまで平気で立っていたF原さんほどひどくはなかったしても(ごめんなさい)、ほとんどの部員が同じようにさえない格好をしていたものです。それが証拠に、今、僕の脳裏にRFCの部員たちの姿を蘇らせれば・・・、
○F原さん=紺のジャージ(しかもヒザ破れしかも線入り)
○Y内=色落ちしたジーパン&サスペンダー&グレーのTシャツ
○T軽=センスのないアロハ
○MrO田=ブルース・リーが履いているような中国靴
○K倉さん=汚いスタジアム・ジャンパー
等々、見事なまでに記憶への定着の仕方が服装とセットなのです。これは、たとえば、ハイジとくれば真っ赤なエプロンスカート、ペーターとくれば黄色いシャツ、クララとくれば水色のドレス、ロッテンマイヤーさんとくれば・・・以下同文、というくらい分かち難いビジュアルイメージなのです。
 したがって、当時親交のあった沖国大や沖大を含めた「3大学・男子学生ファッションセンス・ランキング」なるものを作成すれば、間違いなく最下位は琉大で決まりということになるでしょう。残りの2大学、沖国大と沖大には有意な差異を見出すことは困難です。だからステージでも、沖国や沖大がそろいの衣装等でビジュアル的にもパリっと決めているのに対し、我がRFCはその方面に向ける努力がいまひとつ不足していたような気がしてならないのです。
 それどころか、いちど「ジャン・ジャン」か何かの時、司会を務めたF原さんは、ふだん「島ぞーり&トレーナー&ジャージ」という姿でうろうろしているくせに、何を考えたのかこの時だけは、キラキラの「光るウロコ入り」上着を着用して、「それでは次はアラミスです。どーぞ!」などとやっていたのだから、落差ありすぎです(というよりあのような上着をどこで調達したのか僕には不思議でなりません)。
 さて、それではなぜRFCの部員たちが「琉大ファッション」の典型ともいうべき装いに陥ってしまったのか。僕の立てた仮説は単純明快です。それは、「単にカノジョがいないから」というものです。以上、説明終わり。
 えっ、僕ですか?僕は協調性だけが取り得なんです。昔から。