コンパの思い出(5) おおプレネリ

 誰が始めたか知らないけれど、僕が在籍していた頃のコンパでは、よく「おおプレネリ」による替え歌自己紹介を行っていました。例えば僕の場合だと、

♪おおプレネリ あなたのおうちはどこ〜
 私のおうちは 小林なの〜
 きれいなおうちの となりなのよ〜
 やっほぉ ほ〜とらんらんらん・・・♪

てな具合(ちなみに私の出身は宮崎県小林市)。これを次々に回していくのですが、あまりにくだらなかったり、途中で詰まったりしようものなら、間髪を入れず、例の「オール」「オール」の大合唱が始まるのです。

 いつだったか、たしか5大学の打ち上げコンパを、沖大のあの広い部室でやったとき、同期のY田がこの「おおプレネリ」を沖大の連中に仕掛けたことがありました。ところが意に反し、彼らの反応は「は?」「それはいったい?」「(苦笑)」という感じ。酒席はヒートアップするどころか一気に小松政男の肩にとまっていたあのおこがましい鳥のような状況(古い)。それでもY田はなんとか状況を打開すべく、あるいは引っ込みのつかない気持ちを片付けるべく、「Y口、お前行け!」と僕を指名。僕としても、窮地に陥ったY田をそのまま見捨てるわけにもいかず、「わたしのおうちは小林なの〜」と歌いはじめたところ、案の定、場の温度はさらに低下し、僕が「やっほ ほ〜とらんらんらん やほっほ」と歌い終わるころには、一同「とほほ」という空気。
 いくら5大学の仲間とはいえ、各サークルに厳然と存在する「アトモスフィア」の差異を考慮することなく、自分たちの「アトモスフィア」を半ば強引に押し付けてしまったのが間違いのもと、僕は「やっほっほ」と歌い終わった「ほ」の口唇の形状を保持したまま、その場に立ち尽くすしかありませんでした。
 その夜、僕が痛飲したのはいうまでもありません。翌日目覚めたときはすでに日は高く、あれほど多くの仲間たちで賑わっていた打ち上げ会場はひっそりと人の姿はなく、周りを見渡せば会場に敷いてあったはずの大量のダンボールはいまや僕の尻下の一枚を残すのみ。僕はあの日の朝ほど、太陽のまぶしさと自信の孤独を感じたことはありませんでした。
 そのようなわけで、「せめておまえだけでも帰る前に起こすのが道理であろう」「おまえにはそうする義務があったはずだ」と、あれから20有余年の時を経てなお、僕はY田に対して恨みがましく申し上げないわけにはいかないのです。