2006-07-01から1ヶ月間の記事一覧

 Driving in Rain

キリ短バンドの活動期間は当然ながら最長2年。琉大フォーククラブ(RFC)のバンドと比較すれば、それはとても短い活動期間ということになるのだろうけど、僕はこれをまったく「ハンデ」とは考えません。むしろ反対に、その活動期間の短さゆえに、一瞬の…

あのプレハブ棟はどうなったんだろう

’83年〜87年当時の琉球大学フォークソングクラブ(RFC)の部室は、北口からロータリーを東行、時計でいえば「2時」のあたりを左折した駐車場の奥にあるサークル専用プレハブ棟の一角にありました(文章長過ぎ、わかりにくい)。プレハブ棟は全部で3…

 夢の中でスローバラード

メロディ・メーカー、N島K太さんの畢生の大傑作。 “もう何もいらないから 昔の自分にもどりたい・・・” 美しいことばが、美しい旋律と相まった時、メッセージは、言葉本来が持つ語意をはるかに超え、豊かにきき手に届きます。そんな時、僕らは「よくできた曲…

犬を食べられたK花

K花は僕の次に部長を務めた宮古出身のナイス・ガイ。そのK花がコンパの時に次のようなエピソードを語っていたのでご紹介。 彼は小学校時分、家で飼っていた犬をそれはそれは可愛がっていた。ある日、学校から帰ると夕餉の支度を始めた台所からはことのほか…

ギタリスト列伝(1) I村さん

いいギタリストとは? 私見を述べれば、それは「『うたごころ』と『表現力(技術)』を併せ持ったギタリスト」ということになるでしょうか。これは、何もギタリストだけではなく、すべての演奏について評価を行う際の、僕のモノサシです。したがって、僕は、…

おいしいアルバイト

琉大フォークソングクラブ(RFC)のOBであり、「サウンド沖縄」の代表でもあるJ文字さんは、コンサートに必要な機材や運搬用トラックの貸し出しなど、いろんな場面でRFCの活動を支えてくれた僕らの大恩人ともいえる先輩です。 そのJ文字さんが、たま…

F原さんとYちゃん先輩のコミュニケーション

G堅さんの次に部長を務めたF原さんは、学校で哲学を専攻していたこともあって、RFCには珍しい「インテリゲンチャ」であったといえるでしょう。ところがこの哲人F原さんの「理詰め」のアプローチ、男子部員には有用であっても、時にYちゃん先輩にかか…

コンパのおもいで(4) 乾杯の作法

これは、僕ら琉大フォーククラブ(RFC)独自のローカル・ルールなのかもしれませんが、乾杯の時は「必ずグラス(僕らはたいていプラスチックの使い捨てコップだったけれど)の口を先輩より低くすること」という絶対に遵守すべき作法がありました。これを…

コンパのおもいで(3) 「オール!オール!」

いわゆる「一気飲み」を催促、強要、あるいはその完遂を激励するとき、僕らは「オール!オール!」なるかけ声(?)を用いていました。ひとたびこれの連呼が始まったら、もはや逃れることは不可能であり、コップを空にする以外に自らを助ける方法はなかった…

 ラブソング

G堅さん渾身のバラード。「赤いドアの 白い喫茶店 人気(ひとけ)の少ない 奥のソファ・・・」、そんな情景描写からこの曲ははじまります。 あるときG堅さんから「みんなには内緒だけど」てな感じでこの曲の由来をきいたことがありました。それによるとこの曲…

コンパのおもいで(2) メシを食ってから酒を飲む

これは何も僕たち琉大フォーククラブ(RFC)だけに限ったやり方ではなく、広く泡盛文化圏に共通する習慣ではなかったかと思います。だから僕たちは、コンパに先立って必ずホカ弁か何かで腹を満たしてから、それから正式に(?)酒宴を開始していたのです…

琉球大学フォークソングクラブ(RFC)存亡の危機?

といってもサークル名の話し。たしかF原さんが部長の時だったと思うけど、「いまどき『フォークソングクラブ』なんてサークル名はダサいのではないか。もっと時代に合ったサークル名に改称すべきではないか」というような問題提起をしたことがありました。…

Y内、日誌に衝撃告白−「今晩アメリカへ発ちます・・・」

僕らの頃の琉大フォークソングクラブ(RFC)の部室には、「日誌」といって部員が自由に身辺雑記を記す大学ノートがあったのですが、例えばF原さんによる「コード進行理論」というアカデミックな連載があったり、部員の愚痴や心情の吐露があったりと、こ…

LOVE STORY

今日は七夕、そこで今日はそれにちなんで恋の話しをいたしましょうか。 僕が入部する以前から、琉球大学フォークソングクラブとキリ短フォークソングクラブはとても仲がよく、集会やコンサート運営や合宿などほとんどの活動をいっしょに行なっていました。 …

「RFC大辞典」発見!

こんなサイトを発見しました。↓ dfltweb1.onamae.com – このドメインはお名前.comで取得されています。 2005年前後の発行と思われますが、中身はたとえば「キリ短」で辞書を引くとこんな感じです。 (以下引用) [75]・キリ短【きりたん】(地名) キ…

1983年〜87年当時のRFCの年間スケジュール

僕が琉球大学フォーククラブ(RFC)に在籍していた1983年から87年当時の年間スケジュールはだいたいこんな感じだったと記憶しています。・4月・・・学内コンサート(どこかの大教室) ・6月・・・五大学コンサート(那覇市民会館) ・7月・・・ビーチ・パ…

 うつぼ

ベースがT留さん、ドラムがK村さんという、当時の琉大フォークソングクラブ(RFC)が誇る強力なリズム・セクションを擁したバンド。とにかくこの二人はうるさ・・・、いやすごかった。これにH間さんの華麗なギターが絡むのだからたまらない。 楽曲自体は、…

キーボーダー?それともキーボーディスト?

琉大フォークソングクラブ(RFC)では鍵盤楽器の弾き手のことをずっと「キーボーダー」と呼んでいたのだけれど、ある時、ある先輩が「『キーボーダー』って言い方はおかしいだろう。『ピアニスト』って言うくらいだから『キーボーディスト』が正しいだろ…

 ミス・プリント

ポップでどこか懐かしい音楽、叙情と叙景が見事に調和した音楽・・・。僕は、ミス・プリントほどオリジナリティにあふれ、独特の世界を持ったバンド(といっても後述するようにピアノ&ボーカルというシンプルな編成なのだけれど)を他に知りません。「黒のクレ…

 シーサイド・ストーリー

琉大フォーククラブ(RFC)の夏の恒例行事のひとつに「ビーチ・パーティ」という沖縄ならではのイベントがありました。太陽、海、浜辺、潮騒、バーベキュー、酒、そして気の合った仲間たち・・・、ほんとうにこれ以上はないという夏のアイテムが勢ぞろい。ふ…