K村さんの珍芸

 K村さんは僕より1コ上の先輩で、ドラムの腕前はそれはそれはたいへんなものでした。それについては、きっといずれ本ブログで書くことになると思うし、書かなければならないと思うけど、今日のお話しは、そのドラムの腕前とはまったく関係ないK村さんの「珍芸」についての思い出です。その珍芸というのは、


①他人のオリジナル曲に対する独特のケチつけ
②そうでありながら憎めないキャラであり続けたこと


という点において、他の追随を許さない至芸の域に達していたのです。さて、ではその珍芸とは・・・。
 たとえば部室で、テープに録った部内コンサートの演奏を、みんなで聴いているとします。当時、RFC内で演奏される楽曲のほとんどがオリジナルだったので、自然とみんな「ここのギターソロがいいね」とか「ここの音が薄いね」とか、いろいろ感想を述べ合うことになるわけです。もちろん和気あいあいとにぎやかに・・・。
 そんな時、やおら登場するのがK村さん。この人は部室にいるときでも、雑誌などをスティックで「トテトン・テテトン」と叩いていないことがないくらい練習熱心な人だったけど、そのK村さんが「トテトン・テテトン」をやりながら、いきなりテープに合わせて歌い出す。それも時にテープから流れる(であろう)楽曲のメロディを先取りしながら・・・。つまりK村さんがやっていたのは「メロディの予測」であり、その予測が見事的中した場合は、勝ち誇ったように「なんだこの曲、展開が読めるじゃねーか」といかにも「俗曲」という判定を下すのでした。
 もちろん、この「メロディ予測」、歌の部分だけでなく、ギターソロやイントロやエンディングにまで及ぶのだから、まったくうるさいったらありゃしない。要するにK村さんが、部員のオリジナル曲の評価に用いていたモノサシは、メロディの予測可能性の大小であり、予測可能性が大きい曲=俗曲、低い曲=良曲というものだったのです。まあ、シンプルといえばシンプルなモノサシだけど、やられる方はきっとうっとうしかったに違いありません。だいたい、せいぜいスリーコードに毛の生えた程度のコード進行しか持たない楽曲において、旋律の動きが意外さにあふれる曲というのはそう作れるものではありません。音楽って、たいてい予定調和的なメロディの動きになるものだし、そっちの方が聴いてて自然っていうところがありますもの。
 とはいえ、このような「失礼」な批評法を採用していながら、K村さんは、なぜか部員みんなから憎めないキャラとして愛され続けていたのです。なぜか。以下に、僕が考えた理由を列挙します(K村さんごめんなさい)。


①メロディ予測に基づいて歌われるメロディの8割以上が実は的中していなかった
②したがってK村さんのメロディ予測は、はっきりいってただうるさいだけだった
③的中しているとK村さんが主張していたものも、子細に検討すると実はミクロレベルではテープが先行、すなわち結局テープに合わせて歌っているだけだった
④K村さんがメロディ予測を行う曲は、実は自分が好きな曲に限られていた


ということになるでしょう。なんてお茶目なK村さん。僕はそんなK村さんが大好きでした。