かなしさが疾走するコード進行

 かつて、インテリの代表選手のような小林秀雄大先生は、モーツァルトの音楽を評して、「確かに、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」という美しすぎる文章を残しました。このあまりに見事なフレーズを僕はいただかないではいられず、「君のうた」コンサートのパンフレットにおける自己紹介欄に、「彼(僕のことです)の奏でるギター、そのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」とそのまんまパクらせていただきました。小林先生、ごめんなさい。
 ということで、今日は独断と偏見による「かなしさが疾走する」コード進行について。それは、


“Ⅳm(Dm7)―♭Ⅶ7(G7)―♭Ⅲmaj7(Cmaj7)―♭Ⅵmaj7(Fmaj7)―Ⅱm7♭5th(Bm7♭5)―Ⅴ7(E7)―Ⅰm(Am)“


という進行(カッコ内のコードネームはキーがAmの時のコードです)。
 とりたてて何ということのない進行かもしれませんが、僕にとっては涙が追いつけないほどかなしくせつない進行です。ちなみに、この進行を使った楽曲を思いつくまま列挙すると、


辛島美登里「サイレント・イブ」の「いくつもの愛を重ねても引き寄せても・・・」の部分
竹内まりや「駅」の「懐かしさの一歩手前で・・・」以降のサビおよびシンフォニックな間奏部分
石川ひとみ「まちぶせ(古い!)」の「もうすぐ私きっとあなたを振り向かせる・・・」の部分


と、どうですか、すべてがせつなさ全開、かなしみ疾走という感じの楽曲ばかりではありませんか。
 なんといっても、僕がこのコード進行に「かなしさ」を感じるようになったきっかけは、以前本ブログでご紹介した「ミス・プリント」というキリ短の名バンドによる大貫妙子「黒のクレール」の演奏をきいてから。この曲の歌部分では上記の進行は用いられませんが、間奏部分でオーケストラがせつない旋律をシンフォニックに奏でるところでこの進行が登場するのです。「ミス・プリ」の演奏ではもちろん壮大なオケなんて鳴るわけはなかったけれど、僕は大貫バージョンの「黒のクレール」よりも、ミス・プリバージョンの「黒のクレール」の方が味わいがあって何倍も好きだったです。
 この「かなしみ疾走」進行、皆さまもぜひお試しあれ。

 
 今年の記事はこれで終わりです。拙い記事をお読みいただいた皆さま方には感謝の気持ちでいっぱいです。ほんとうにありがとうございました。来年もがんばって書いていきたいと思いますので、よろしくお付き合いのほどお願いいたします。
 それでは皆さまどうかよいお年をお迎えください。