国際通りを練り歩く

 僕が1年生だった‘83年まで、琉大祭をPRするための「国際通り練り歩き」という一大イベントが、全サークルの参加によって行われていました。本パレードは、残念ながらその年を最後に翌年から廃止になってしまったのですが、あれだけハチャメチャな学生パレードを、観光都市・那覇のメインストリートでやれていたこと自体奇跡的だと思うし、それを認めていた行政当局も、当時はそれほど寛容だったということです(いい時代でした)。
 ということで、僕は1年生の時に一回だけそのパレードに参加したのですが、だいたいこういうシチュエーションにおいて、がぜん張り切るのが4年のN越さんで、N越さんが実行部隊である我々1年生に提案(強要)したのは、
①琉大フォークソングクラブ(RFC)の出し物は、お祭りらしくオーソドックスな「御輿(みこし)」とする
②1年生は全員、黄色いヘルメットを装着し、上半身は裸、黒の競泳パンツのみ着用とする
③御輿の上ではセーラー服を着たN島さんが泡盛を飲みながらギター一本で歌いまくる
という、ほとんど「いかに目立つか」にのみ焦点があてられ、生来人間が持つ「恥ずかしさ」への配慮をまったく欠いたものでした(ほんとうに困ったN越さん)。
 これをきいた我々1年生は当然ながらあ然とし、「RFCと御輿といったいどういう関係があるのか」「なぜ黄色いヘルメット&競泳パンツでなければならないのか」等、かなりの不満はあったものの、元部長であり、嬉々としてアイデアを語るN越さんに面と向かって歯向かうことも出来ず、渋々と従わざるを得なかったのであります。S吉などは最後まで「いやだいやだ」と涙ぐんでいたのを思い出します(N島さんはやけにノっていたな、そういえば)。
 そしてパレード当日。僕ら1年生とN島さんは、上記の変態的扮装に身をつつみ、半ばやけくそでおしゃれな観光客で賑わう国際通りをわっしょいわっしょいと歩ききったのです。おまけに実行委員長(?)のN越さんが大喜びで僕らに泡盛をふるまうものだから、N島さんなどはもうへべれけ、僕らも酔いと疲れで正体不明となってしまいました。
 そんな苦労もあって、パレード当日の我が「RFC御輿」は、「とにかく目立つ」というN越さんの打ちたてた目標だけは十分達成できたであろうと思います。ただ、それがRFCの琉大祭コンサートのPRであると気づいてくれた人が、おそらく皆無であろうことが悲しいけれど・・・。とほほ。