Y内、日誌に衝撃告白−「今晩アメリカへ発ちます・・・」

 僕らの頃の琉大フォークソングクラブ(RFC)の部室には、「日誌」といって部員が自由に身辺雑記を記す大学ノートがあったのですが、例えばF原さんによる「コード進行理論」というアカデミックな連載があったり、部員の愚痴や心情の吐露があったりと、これがけっこうおもしろかったのです。PCや携帯のなかった当時、僕ら部員にとって日誌はなかなか楽しいコミュニケーション・ツールでもあったわけです。
 いろんな人がいろんなことを書き綴ったこの日誌でしたが、いちばん衝撃的だったのが、僕と同級のY内が1年の終わりか2年のはじめに書き記した「今晩、アメリカへ発ちます」という記事。Y内は、旅行とか留学とかそういう「普通のアメリカへの行き方」ではなく、このあまりにそっけない日誌の書き込みとともに、ほんとうにこつ然と姿を消してしまったのでした。
 当然、Y内のこの書き込みはRFC内に大きな波紋を拡げました。彼はふだん電気やガスも止められた状態で生活していたので、「カネがないのだからアパートに潜んでいるだけではないか」「鹿児島(彼は鹿児島出身)に帰っただけではないか」「いや、ほんとにアメリカでジャズ・ピアノかなんかを修行しているのではないか」等々、みんな好き放題、勝手なことばかり言っていました。結局、渡航の目的も期間も手段も何ひとつ明らかになることはなく、そのうち、時間の経過とともに部員の口にY内の話題はのぼることはなくなったのです
 それから何ヶ月か後、Y内は何事もなかったかのようにクラブに復帰。アメリカ行きの顛末については、それから折に触れきいてみたものの、ついに彼の口からこのことについての詳しい話しは聞けずじまい、したがって現在に至っても謎のまんま。
 復帰後の山内に、何か変わった様子があったかというとそれもまったくなし。あいかわらず体型は立派なお相撲さん型だし、あいかわらず電気やガスが止められているのに「ジュリスト」だけは定期購読しているし、あいかわらずシェーキーズでピザの食べ放題を頼んで店の人から「もう来ないでください」といわれるぐらい食うに食うし・・・。
 そう、ひとつ変わったのはY内が何かから「ふっきれた」かもしれないということ。彼が4年の時に後輩たちと結成したハード・ロックバンド(バンド名失念)では、鍵盤弾き(それもジャズ志向)だった彼が、何をトチ狂ったか頭をモヒカン刈にしてボーカルに転向。キリ短祭で「あ〜つい な〜つが やってくる〜」などとお世辞にもうまいとはいえないシャウトを連発しながらステージを転げまわった姿に一同あ然・・・。
 とにかくY内は読めない男でした。それでもなぜか憎めない愛嬌のある男でした。卒業以来連絡とってないけど、いったいどこで何をしているのやら。お〜いY内、元気か?