あのプレハブ棟はどうなったんだろう

 ’83年〜87年当時の琉球大学フォークソングクラブ(RFC)の部室は、北口からロータリーを東行、時計でいえば「2時」のあたりを左折した駐車場の奥にあるサークル専用プレハブ棟の一角にありました(文章長過ぎ、わかりにくい)。プレハブ棟は全部で3棟、漢字の「品」の字型に並んでいたと記憶します。僕らの部室は、その「品」の字の右下の棟のいちばん奥で、広さはそう、だいたい八畳ぐらいだったかなあ・・・。入口入って左壁が掲示板、左奥が冷蔵庫、正面が窓、右側がキャビネット、そんなレイアウトだったと記憶します。
 ちなみに、隣が「漫研」で前が「民族研」。僕らの部室はいつもにぎやかだったけど、「漫研」や「民族研」は人の気配はあるもののたいていいつもひっそり。僕らは、そんな彼らご近所さんのおとなしさに悪ノリし、深夜練習やコンパなどやりたい放題でした。あれだけ周囲に騒音をまき散らしたにもかかわらず、一度も苦情や文句を言わなかったご近所さん、考えてみれば、これは驚くべき寛容さ、今さならながら感謝の意を表したいのであります。
 あのプレハブ棟、僕らが使っていた時点で、すでに「築10年超」だかで、いつ倒壊してもおかしくないようなことを言われていました。したがって普通に考えれば、あれから20年近い歳月が流れている今、あのプレハブ棟はとっくに壊されていてもおかしくないと思われます。以前ご紹介した「RFC大辞典」にあたってみたのですが、そのあたりがいまひとつ判然としません。あのプレハブ棟はいったいどうなったのでしょう?