ポスター貼り〜地獄のアルバイト

 学生時代仕送りのなかった僕は、それこそいろんなアルバイトをやったけど、何がきつかったといっても時々J文字さんが斡旋してくれた「コンサートのポスター貼り」ほどきついアルバイトはありませんでした。
 「募集人員」は2名。相方は決まってG堅さん。たぶん人のいいG堅さんはこのようなきついバイトを他の部員に割り振るに忍びなく、自分で引き受けていたのかもしれません。
 さて、そのポスター貼りの一連の作業を列挙すると、


(1)事前の準備
●ポスターをもらってくる(500枚くらいだったかしら?)
●ポスターの台紙となる大量のダンボールをスーパーからもらってくる(たいてい川平スーパー)
ダンボールをポスター大にカットする
●のり粉と水を混ぜ合わせ手製ののりを作る(既製品は値段が張るため)
●刷毛でのりを塗りポスターとダンボールを貼り合せる
●針金を約1メートルづつカットする
●ポスターの上下に針金を通す


(2)作業
●G堅さんの車にポスターを積み込む
●深夜、那覇・宜野湾・沖縄市など主な「都市部」の電柱という電柱にポスターを貼りまくる


と文字にするとそれほどのボリュームではないけれど、実際にこれだけの作業をわずか2人でやるというのはほんとうにたいへんでした。ていうか3、4人で作業をシェアしてもたぶんよかったのだろうけど、予算の都合でバイト料の「総枠(それもあまり大きくない)」が決まっていたから、シェアすると1人あたりの分け前がしょぼくなるというジレンマがあったんじゃなかったかしら(アルバイト代いったいいくらだったかなあ?今ではすっかり忘れてしまいました)。
 ということで、作業が終わるのはたいてい明け方、2人とも口がきけないくらいすっかり疲れきってしまうのでした。あまりのきつさに作業中、僕はG堅さんに「ポスターあとちょっとだし貼っても貼らなくってもわからないでしょ。だからG堅さん、もう帰りましょ、ねっ、帰りましょ」と悪魔のごとき提案をしても、G堅さんからは「そんなことをしたらダメ!」と一蹴されるのでした。
 何よりG堅さんの場合、パートナーの僕が免許なし、車なしだったためにずっと運転しっ放しだったから、疲労は僕の比ではなかったでしょう。にもかかわらず、G堅さんはいつもきっちり半分のバイト代を僕に渡してくれたのでした(ガソリンだってずいぶん使っているのに)。
 したがって、僕はあの時のG堅さんの仕事に対する誠実な姿勢、分かち合いのメンタリティを今もって忘れることはできないのであります。G堅さんの背中は、僕の労働観におそらく多大な影響を与えていることは間違いありません。
 それにしても、作業の大半を部室でやっていたけれど、みんなでダベったり練習したりしている横で、せっせとダンボールを切ったり、糊を作ったり、針金通したりするというのもせつないといえばせつなかったなあ・・・。このバイト、今でもあるのかしら?