Y師寺のおもいで

 N宗根が連絡してくれたおかげで、卒業以来ずっと音信不通だったY師寺からまさかのメールが到来。短いコメントながらやはり「文は人なり」。行間からにじみ出ているのは間違いなくあの頃の「大分くん」そのままのY師寺なのでありました。
 

 Y師寺は琉球大学フォークソングクラブ(RFC)の仲間たちの中で僕が最初に知己を得た友人で、入学当初入り浸っていた(というかそこしか行く場所がなかった)同じ高校出身の同級生のアパート(北口近く)の向かいの部屋に住んでいたのが彼でした。その部屋でY師寺がときどき「S&G」や「ふきのとう」やアコースティック時代の「オフコース」を弾き語っていたのが縁で「そうかこいつも音楽が好きなのか」ということで、僕はたびたび彼の部屋にお邪魔するようになったのでした。今思えば、僕がRFCへの入部を決意したのも、僕より先にRFCへの入部を「表明」していたY師寺の行動に促されたといってもいいでしょう。
 入部後最初の部内にもY師寺、S吉とともに3人で出演、オフコースやふきのとうや長渕剛をY師寺のボーカルで演奏しました。バンド名は「狼男だよ」(新井素子に同名の小説があるからこの安直なバンド名はおそらくS吉の発案でしょう)。その後もY師寺の部屋に遊びに行っては、彼の作ってくれた大盛焼きそばをごちそうになったり、彼の好物のペプシコーラのご相伴に預らせてもらったり、筒井康孝や椎名誠の本を借りたり、それまで全然好きでもなかったふきのとうの音楽(「春雷」とか「初恋」とか。ああ懐かしい!)が好きになったり・・・。そういえばI中学校の修学旅行のアルバイトにもいっしょにいったよなあ。Y内と3人で。ちょうど今頃の時期だったよなあ。


 そのようなわけで、Y師寺は僕をRFCへと誘ってくれたいわば恩人のような存在(ちょっと褒めすぎか?)。その彼が倉敷で元気にしているとのことで、僕はほんとうにうれしいのでありました(病弱っていうのが気になるけれど)。