O玉先輩ライブ&RFC南九州支部会
7月23日の土曜日、宮崎市内のライブハウス「EVENT RESORT」にて開催されたO玉先輩のライブに出かけてきました。
会場には、T良ご夫妻、N越ご夫妻、しみちゃん先輩などRFCの大先輩方も鹿児島、大分から駆け付け、ギターのO玉先輩、ベースのU野沢さん、ピアノのI藤さんの素晴らしい演奏をたっぷりと堪能したのでした。
ライブ終了後は市内の居酒屋で懇親会、その後はライブハウスGENで二次会となりました。
GENでは、U野沢さんやI藤さんが、たまたまGENに居合わせたお客様の伴奏をしてくださったり、O玉さんとI藤さんがジャズを演奏してくださったり、われわれRFC南九州支部のメンバーはもちろん、お客様一同、大感激となりました。
O玉先輩、U野沢さん、I藤さん、ほんとうにありがとうございました。
それから、RFC南九州支部のT良さん、しみちゃん先輩、N越さんも、いろいろありがとうございました。
今回はホスト役にもかかわらず、至らない点ばかりでしたが、大先輩の方々との語らいは、ほんとうに楽しかったです。特にN越さんとは20年以上ぶりの再会にもかかわらず、ちっとも変わらない雰囲気で、うれしかったです。
最後になりましたが、今回の先輩方の来宮をお知らせくださりながら、お知り合いの不幸で急きょ参加できなくなった800Band先輩にはほんとうに感謝です。ありがとうございました。
今度は、九州支部同窓会、ぜひやりたいですね。
宮崎市内の居酒屋にて
GENにて。お客様の演奏をI藤さんがサポート。なんとぜいたくな伴奏!
RFCと英国のEU離脱
「グローバリズムかナショナリズムか。国論真っ二つの英国で有権者が選択したのはEUからの独立、なかんずくナショナリズムだった」。
これは国民投票の翌日、土曜日付の日経新聞1面に掲載された欧州総局長氏の論評です。
う〜ん・・・、なんだかちょっと違うような気がするんですよねえ・・・。
日本を代表する新聞のご高説に僕なんぞが異議を唱えるのも失礼な話しなのですが、どうも、この評者の言説の背後には「グローバリズムは正しい」という前提が隠れているような気がしてなりません。
ほんとうにグローバリズムってそんなにいいものなんでしょうか。
よく言われることではありますが、極端なグローバル化や市場の自由化によって、生活者や勤労者の暮らしから安心や安定がなくなり、かつて一億総中流とまでいわれた分厚い中間層はいつの間にかどこかへ消え失せてしまいました。とてもグローバリズムが人々を幸せにしてくれるとは思えないのです。
だから、今回の投票結果は、今のEUというシステムが「共同・共生」という、そもそもの理想からはほど遠い、市場原理主義者や拝金主義者が跋扈する「カネ儲けに都合のいいシステム」になり下がってしまったことに対する異議申し立てであるような気がしてなりません。
度を越えたグローバリゼーションは、人々を「統合」するどころか、むしろ「分断」させるものであり、その意味では今回の国民投票の争点は、日経新聞が論評したような「グローバリズムかナショナリズムか」ではなく、「グローバリズムか反グローバリズムか」ということだったのだろうと思います。
そういえば10日投票の参院選も、ほんとうの争点は憲法改正。これはこれでとても大事な選挙になりますね。
それから今回の国民投票、ポール・マッカートニーとリンゴ・スターは、いったいどっちに投票したのでしょうか。う〜ん・・・、なんだか気になるところです。
どうして僕が、こんなえらそうなことを長々と書くのかというと、やっぱり
「RFCという“共同体”は素晴らしかった」
ということが言いたかったからであります。
サークルの活動軸を、「アウトプットの質」という軸と、「構成員の共同・共生・親睦」という軸の2軸に分ければ、この2軸はどうしてもトレードオフの関係にならざるを得ないところがあるように思います。
つまり、RFCでいえば、アウトプットであるところの演奏(楽曲)の質というところにこだわり過ぎれば、部員の中でいわゆる「歌や演奏が上手な人」ばかりが重用され、活躍することになってしまうでしょうし、反対に構成員の共生や親睦にばかりこだわり過ぎれば、演奏の質は多少犠牲にならざるを得ないでしょう。
この点、僕が所属したRFCというサークルが素晴らしかったのは、この相反する2つの軸―演奏集団としてのRFCと、共同体としてのRFC―を見事にバランスさせていたというところです。
演奏志向の強い部員も、親睦志向の強い部員も、それぞれがそれぞれに認められ、それぞれに居場所を見つけ、それぞれに心地よい・・・。
この点、ちょっと経済に寄り過ぎのある感のあるEU指導者のみなさまにはぜひご参考にしていただきたく、遠く宮崎の地から、お願いを申し上げる次第なのでありました。
同級生とライブハウスでライブ
https://www.youtube.com/watch?v=XE6gsBkiNFs
上のリンク先の動画は、先日(6月12日)、宮崎市のニューレトロクラブでの演奏の模様です。
さえない芸人のような風情でギターを弾いているのが僕です。
ボーカルを務めるのは小学校、中学校、高校時代の同級生のA君。
高校時代は、ほとんど毎朝、A君が通学途中に僕の家に立ち寄り、二人で朝練よろしくギターを弾き合ったものでした。
最近になってA君から「俺も50歳過ぎて音楽したい気持ちがむくむくと大きくなってきた。いっしょにやらないか」との誘いを受けたのがきっかけです。
以来、中学校時代から40年近く弾き続けている3万円のモーリスギターに初めてピックアップを取り付け、カラオケボックスで練習を重ね、かみさんからぶりぶりと文句を言われながら、ついに出演の運びとなりました。
もちろんソロコンサートなどではなく、ライブハウスが企画する定例のアマチュアバンド用のコンサートで、当日は僕らも含め5バンドの出演でした。
緊張しましたが、大きなライブハウスでの演奏は音響も良くて気持ちよかったです。
何より、僕の40年経過&3万円のモーリスの音が、「いい音がするねえ!」とたくさんの人に褒められたのがうれしかったです(ちなみにテケテケの「ミュージック」のバックで弾いているのもこのギターです)。
昔の楽器って、木材の質も良く、職人さんの手作業によりていねいに作られていたということなのでしょうね。
僕はアコギはこの1本しか持ってないので、これからもこのモーリスを大切に弾き続けていきたいと思います。
F原さんから教えてもらった「スパークル」のカッティング
「“スパークル”のイントロのカッティングはアップストロークから始めるんだよ!」
と教えてくれたのはF原さんでした。
RFCに入部して間もない頃、達郎さんのバンドスコアをY師寺か誰かから借り、「スパークル」のイントロのカッティングを部室で練習していた時のことです。
いくらタブ譜でも、さすがにストロークのアップ、ダウンの区別までは指定(?)されていなかったため、僕は普通にダウンストロークから弾いていたのを、たまたま部室にいたF原さんがアドバイスしてくれたものです。
たしかにF原さんが模範演奏としてアップストロークから弾き始めた「スパークル」のカッティングは、僕のへたれ「スパークル」とは全然違い、レコードのニュアンスそのままでありました。
さすがF原さん。酒を飲んでいる時はあんなにうっとおしいのに(ごめんなさい)、ひとたびギターを弾き出せばどうしてこれほど素晴らしいプレイヤーへと変貌するのか。僕はF原さんへの尊敬の念を新たにしないではいられませんでした。
今ではすっかり遠くなってしまったあの頃の、ある日ある時のプレハブ部室の情景を思い出させてもくれた達郎さんのコンサートでした。
感激!山下達郎コンサート
4月2日、宮崎市の市民文化ホールで開催された山下達郎さんのコンサートに出かけてきました。
達郎さんのコンサートは初めてでしたが、いやあ、さすがです。すごいです。コーラスの方3人を含めた総計9人による演奏のクオリティの高さは、なんというか突き抜けているとしか言いようのないものでした。
出だしはいきなり「スパークル」。達郎さん本人による切れ味のいいカッティングは、これまで何百回きいてきたレコードの音とまったく同じで、最初の数小節で早くも僕は泣きそうになってしまいました。
以下、「さよなら夏の日」「ライド・オン・タイム」「クリスマスイブ」「ユア・アイズ」などなど、耳になじんだヒット曲もしっかりと演目に入れてくださり、まさに感涙・感激もののあっという間の3時間半でありました。
歌声も今年で御歳63歳とは思えないほどの声質と声量で、加齢による劣化のようなものはまったく感じませんでした。達郎さんもMCで話されていましたが、「たばこを1日3箱吸っていた30代の頃よりも声が出る」とのことでした。だいたい、まったく休憩なしで3時間半ものステージを歌いっぱなし、弾きっぱなしでこなすのですから、気力、体力も含め、驚くほかありません。
ステージのセットも、60年代のアメリカ西海岸の一角といった感じで、本物のパームツリーや海辺のホテル、刻々と変わる背景の海や空の色など、まさに達郎さんのレコードジャケットそのままという感じでした。
それにしても、ふつう、達郎さんほどのビッグネームにもなれば、大都市にあるアリーナだとか球場だとか、何千人、何万人規模の会場でやるのが昨今の風潮だし、商業ベースで考えてもそっちの方が手っ取り早く動員が確保できそうなところですが、達郎さんの場合、「会場は小さくても全国各地での開催にこだわっている」とのことでした。
なんというありがたさ。ファンを大切にするとは、まさにこういうことではないでしょうか。おかげで、僕のような地方在住のファンも、こうして達郎さんのコンサートを楽しむ機会に恵まれたのですから…(もちろんチケットの入手はかなり困難ではありますが…)。
この点、ちょっと売れたらすぐに大都市のアリーナとかで万人規模のライブをやりたがる最近の業界関係者の人たちは、達郎さんの爪のアカでも煎じて飲んでほしいところです。
達郎さんのライブ中のMCで驚きの話しがありました。
バックのひとり、サックス担当の宮里さんは、なんと僕と同じ宮崎県小林市出身とのこと。都城市のライブハウスでサックスを吹いていた宮里さんの演奏を聴きに、達郎さんご本人がお忍びで訪れ、演奏を聴き、メンバーに引き入れることを決められたとのことです(達郎さんはかねがね宮里さんの評判をドラムの小笠原拓海さんから聞いていたそうです)。
達郎さんの耳に適うようなすごいプレイヤーが宮崎にいたということも驚きですが、達郎さんほどの大御所が、無名(当時)のサックスプレイヤーの演奏を聴きに、わざわざ宮崎まで足を運ぶという熱意、音楽愛に僕は感動したのでした。
さすが達郎さんに認められただけあって、宮里さんのサックスは素晴らしかったです。達郎さんの多くの楽曲でサックスが果たす役割はとてつもなく大きいし、それをしっかり果たしている宮里さんの演奏に、僕は自分のことのように誇らしい気持ちになったのでした。
ツアー日程によると、今週9日、10日は沖縄市民会館でのコンサートとなっています。しかもツアーの締めです。もしかしたら、RFCの関係者の方で行かれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
いいなあ…。沖縄で達郎さんのコンサートを聴くなんて、これ以上のぜいたくはありませんよね。
やっぱり僕はRFCに育てられました
以下は「ジョン・レノンの髪の毛がアメリカのオークションで400万円で落札」というニュースについての職場でのやりとりです。知識のない人間同士の会話というのはここまで暴走してしまうものなのですね。まったくお恥ずかしい限りです。
(後輩A)・・・ 「私は髪の毛なんぞに400万円なんて出す人の気がしれません」
(後輩B)・・・ 「いくらファンだからといって、髪の毛で何すんでしょうか」
(僕)・・・ 「これこれ君たち。君たちはほんとうに考えが浅いねえ…。その髪の毛からジョンのクローンを作り、ジョン・レノン復活として売り出せば、400万円が何十倍、いや何百倍にもなって返ってくるではないか。きっとジョンの髪の毛を買った人はそんな算段まで立てて大金をはたいたに違いないと私は思う。君たちも社会人なんだから、もっと事象の裏側に想像力を働かさないといけないよ」。
(後輩A)・・・ 「ジョンのクローンを作ったら、ほんとにジョンになるんですか?」
(僕)・・・ 「それはいい質問だ。たしかにジョン・レノンというミュージシャンを形成した要因のどこまでが先天的なもので、どこからが後天的なものかというのは難しい問題であるといわざるを得ない。父親に捨てられ、母親と別居し、伯母に育てられ、音楽と出会い、バンドを組み、18歳で母親を亡くし、そしてポールと出会う…。そんな人生がジョンをジョンたらしめたというところはたしかにあるだろう。ほかにも1940年代という時代の空気感、それからリバプールという港町が醸し出す雰囲気なども、あずかって大きな影響をジョンに与えたといえるだろう」。
(後輩B)・・・ 「あのう…お話し中すみません。いまググったら、髪の毛からはクローンはできないそうです」
(僕)・・・ 「・・・・・・・・・」
ジョンのクローン計画うんぬんはさておき、こうやって考えてみると、ひとりの人間が形成される要因の大半が、この世に生まれ出でてからの出会いや出来事によるものだということになるのでしょうね。
僕もRFCに入部してなかったら、きっと今の自分とは全然違う人間になっていたに違いありません。そう考えないではいられない先日のやりとりでした。
ご冥福を心からお祈り申し上げます
今朝の新聞で松原正樹氏の訃報に接しました。享年61歳。若過ぎます。ほんとうに残念でなりません。
「真夜中のドア」「渚のバルコニー」「瞳はダイヤモンド」「スイート・メモリーズ」「長い夜」「六本木純情派」「恋人がサンタクロース」「アニバーサリー」「カナダからの手紙」「微笑みがえし」「さよならの向こう側」「セーラー服を脱がさないで」「北ウィング」・・・。
逝去を悼むたくさんの声の中に、「昭和歌謡の何分かの一は松原正樹で出来ているといっても過言ではない」という言葉がありましたが、まさに松原氏が奏でてきた数々の珠玉のフレーズは、僕たちの心に深く刻まれ、これからも輝きを放ち続けてくれることでしょう。
RFC時代、G志堅さんから、大好きなギタリストということで松原正樹氏というスタジオミュージシャンの存在を教えられ、以来、僕もレコードのクレジットなどを意識して読むようにようになったのですが、つくづく気づかされたのは、楽曲というものは、作詞家や作曲家や編曲家だけで作られるのではなく、スタジオミュージシャンという「縁の下の力持ち」によって支えられていること、彼らの奏でるフレーズが楽曲に忘れがたい印象を刻印してくれていることです。
「アンサング・ヒーロー(歌われないヒーロー)」という僕の大好きな言葉があります。決して人々に称えられたり感謝されたりすることはないけれど、世界にとってなくてはならない仕事や役割を黙々と果たしている人たちを讃える言葉…。
松原正樹氏をはじめとするスタジオミュージシャンの方々の仕事を思う時、僕はこの言葉を思わずにはいられません。
素晴らしい音楽をほんとうにありがとうございました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
→https://www.youtube.com/watch?v=JgTqeCdknFg
→https://www.youtube.com/watch?v=XA9odSy1xXY
1980年代前半の録音。この曲をダビングしたテープを学生時代はほんとうによく聴きました。ほんとうによくギターが「うたって」います。
→https://www.youtube.com/watch?v=k-KAY_Glmn4
僕の大大大好きな曲。まさに名曲中の名曲。和製ポップスの精華。松原氏のカッティング、エンディングのソロが素晴らし過ぎます。