ハイレゾ音源より蓄音機で聴きたいビートルズ

 久しぶりの更新となりましたが、皆さんお元気ですか。
 去る9月1日と2日の日経新聞に、音楽の鑑賞というものについて少々考えさせられる記事が掲載されていましたので、かなり長くなりりますが、ご紹介かたがた感想を述べさせていただきます(最近は身辺雑記ばかりですいません)。
 まず9月1日付の日経新聞の記事から、超高音質といわれる「ハイレゾ音楽配信」について。


(以下引用)
 超高音質を売り物にした音楽配信が広がってきた。魅力はCDの3〜8倍の豊富な情報量が生み出す緻密で迫力のある音色だ。長年のオーディオファンが舌を巻き、若年層もライブのような臨場感に心を動かされる。違法ダウンロードの罰則強化などを受け、大手音楽会社が相次ぎ参入。30年前のCD誕生以来となる音の進化に、オーディオ機器の市場も活気づく。
(引用終わり)


 ということで、さっそく職場のPCからワーナーミュージックハイレゾ配信サイトを訪問し、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」を視聴してみたところ……。
 う〜ん…。
 PCにウォークマン用のちゃちいヘッドフォンをつなげただけだからか、あるいは生来の耳の悪さからか、正直「超高音質」といわれるほど明確な音質の違いを、僕は感じることはできませんでした。
 この「ハイレゾ音源」、体験された方もたくさんいらっしゃると思いますがどうなんでしょう?
 もしかしたら、すでにハイレゾ配信の楽曲をガンガン聴いている方もいらっしゃるのかもしれませんね(S吉とかO山とか新しもの好きだし…)。


 続いて同じく9月2日付の日経新聞から「雷鳴とタイムマシーン」と題する作家いしいしんじ氏の蓄音機に関する記事の抜粋です。
 記事によれば、もともと同氏は「蓄音機マニア」などでは全然なく、むしろ蓄音機に対して「気色悪い懐古趣味」というイメージさえ抱いていたとのこと。
 そのいしい氏がひとにすすめられるまま蓄音機を購入し、自宅屋敷のまんなかに蓄音機を置き、ゼンマイを巻き、あまり期待もせず、エルヴィス・プレスリーSPレコードハウンド・ドッグ」をターンテーブルにのせ、針を落としたところ……。


(以下引用)
 真っ暗になった。雷鳴が走る。家が揺れ、空気が光り、台所でだしをとっていた妻が「なに、どうしたの!」とたまじゃくしを握ったまま駆け込んでくる。畳一畳分後ろにふきとばされた僕は、アウアウ、とことばにならない声をあげ、右腕をのばし、レコードのまわるターンテーブル上を指さしている。
 そこにエルヴィスがいた。
 10インチレコードの黒光りの上で、黄金色の光を帯びた二十代半ばの若者が、腰を揺らし、唾をまきちらしながら「熱さ」そのものといった声で、ロックンロールの誕生をこの世界に宣言していた。


(略)


 いま、ここで奏でているとしか信じられない、音の粒子をまき散らす。
 SPレコード自体、のちのLPレコードやいわゆるドーナツ盤とちがって、電気による圧縮なしに、演奏されているスタジオの空気振動が、ダイレクトに盤面に刻まれた、いわば音の原版だ。蓄音機も電気を使わない。LPやCDのように、アンプによって拡大された電気信号音がスピーカーから出てくるのでなく、SP盤上の溝の横揺れが、そのまま版画のように、いま現在の空気を震わせ、木のボディが共鳴して音楽となる。懐古趣味なんてとんでもない。過去と現在の空気が、音楽によって直結され、煙をたてて発火する。
 エルヴィスをはじめて聴いて「生きている」とおもったのは、「いま、ここ」と1950年代をつないだ、タイムトンネルのような空間で、音楽が鳴っているかぎりエルヴィスは生きつづけている、ということだ。ここでは時間の概念が、数直線ではなく、クラインの壺みたいなかたまりとなる。
(引用終わり)


 たまたま二日連続で目にしたこれらの記事にはいろいろと考えさせられた次第です。
 少なくとも僕には「超高音質」をうたう「ハイレゾ」配信より、「そこにエルヴィスがいた!」とまで氏にいわしめたゼンマイ式の蓄音機が奏でる音に食指をそそられたのはいうまでもありません。
 そこで、ビートルズSP盤なんてあるのかしらと思ってネットで調べてみたところ、いやあ、あるんですね、ビートルズSP盤、かなり値は張るみたいですが…。
 記事やコメントを読むと、たくさんの方がSP盤の音質の良さを絶賛されています。SP盤なんて「すでに終わったメディア」という印象がありましたが全然違うんですね。
 半世紀以上の風雪に耐えてもなおたくさんの人に感動を与え続ける蓄音機に比べれば、先端テクノロジーの固まりのようなiPodさえ、くちばしの黄色いひよこも同然なのかもしれませんね。
 蓄音機が奏でるビートルズ…、いったいどんな音なのでしょうね。ああっ、聴いてみたい!