身銭を切ることの大切さ

 昨日、You Tubeにアップされているハウツービデオについて、「ありがたい世の中になった」旨の言及をさせていただきましたが、その舌の根も乾かないうちに、一方ではこのようなお手軽さ、便利さに対してどこか気持ちの片付かなさを感じているところです。
 これについて、たとえば僕は、抜きん出たギターテクを誇っていた沖国大ニューミュージッククラブの同級生ギタリスト(名前失念)がコンパの時に熱く語っていた場面を懐かしく思い出します。
「R・ブラックモアのギターはほとんど耳コピしたよ。リッチーのギターは耳で採らんといかんよ」。
 周りがうらやむほどのギターテクを彼が身につけたのも、おそらくこのような面倒な手間や手順や手続きを厭わなかったからでありましょう。やはり身銭を切ったものしか自分の手には入らないのです(たぶん)。
 この点、「ポール・マッカートニー メニー・イヤーズ・フロム・ナウ(バリー・マイルズ著、ロッキン・オン社刊」という本の中から、ポール自身が語った微笑ましくも感動的な少年時代のエピソードをご紹介させていただきます。ちなみにここのところは、この本の中で僕がいちばん好きなところです。
 

(以下引用。54p)


 ポールの方がコードをたくさん知っていたが、左利きの彼のコードは全部逆さまだった。ジョンは逆コードを習ってから、頭の中でそれを右利き用に置き換えた。時間はかかったが、二人はそれでもやり続けた。


ポール「僕らはB7というコードのためだけに、街の端から端まで行ったことがある。EとAは知ってたけど、それに続く最後のB7という難しいコードがあって、それを知ってる奴の家までバスに乗って出かけたんだ。『丘の上の予言者が、この偉大なるコードB7を知るという』なんて言ってね。まるで弟子のようにそいつを囲んで座り込んで、『どうやってやるの?』って教えてもらってさ。
 それから、コースターズの”サーチン”というレコードのために街を旅したこともあったな。誰も持ってなかったこのレコードを、ザ・クォリー・メンのドラマーのコリン・ハントンの知り合いが持ってるっていうんで、みんなでバスを二回も乗り換えて行ったよ。(略)これほどまで見も心も捧げていた点が、ビートルズと他のバンドとの違いだったと思う」。


(引用終わり)


 少年時代のジョンやポールが聴いていた音楽や楽器に関する情報量たるや、おそらく現代の音楽少年少女の比ではないでしょう。インプットの絶対量だけに限れば、むしろ貧しいといってもいいくらいです。なのに彼らが生み出した一連の作品群=アウトプットたるや、まさに奇跡的に豊かなのはなぜなのでしょう。いったい、このような「入出力差」はどこに起因するのでありましょう。
 あまりにベタな私見を述べれば、インプットで重要なのは、「量より質」であるとつくづく思わずにはいられません。手軽に簡単に手に入れたものは失くなりやすいけど、時間や手間を厭わず、しっかり身銭を切って手に入れたものは一生もののであるということなのではないでしょうか(もちろんそれ以上に彼らが天才だったというところはあるけれど)。


 ちなみに、山崎まさよしポール・マッカートニー本人の前で「オール・マイ・ラビング」を弾き語るというなんともうらやましいPVがYou Tubeにアップされています。
 レフティのポールは山崎氏が弾き語る「オール・マイ・ラビング」を聴き終わった後、「1ヶ所だけコードが違ってるよ。君のギターを貸してごらん」と、山崎氏が弾いていたギター(もちろん普通の右利き用)を取り上げ、なんと「右手の逆さ押さえ」で「出だしのコードはF#じゃなくってF♯mだよ」とF#mコードを逆に押さえているのです。
 きっと、ポールの少年時代も、ジョンとこんなふうにお互い逆さ押さえで指位置を確認しながらコードを覚え、曲を作り合っていたんだなあと僕は何だか胸がじいんとしてしまったのでした。手間ひまかけて覚えたことは容易に忘れることはない。その最高の事例がこの映像だと思います。
 まあ、なんだかんだ御託を並べても、このような「お宝映像」を見ることができるのも、そういえば現代テクノロジーのおかげです。と再びその舌の根も乾かないうちに前言を撤回するのでした。


 その素晴らしい映像はこちらです↓
 http://jp.youtube.com/watch?v=OuEFwOq9hM0