TEKE2

 自分が所属したバンドのことを自賛するというのもなんだか腰が引けるのだけど、それでもあえて述べさせていただくなら、TEKE2はほんとうに素晴らしいバンドでした。アレンジやサウンド面においてはS吉がしっかり中核を担ってくれたし、Y田のドラムやH重尾のベースにもたしかな「うたごころ」があふれていたし、何よりたまちゃんが創作した(あるいはS吉との共同創作だったのかもしれません)一連のオリジナル曲群のクオリティの高さといったら、ちょっと他の追随を許さない「高み」に達していたのではないかと思います。
 特に、TEKE2の「ラストソング」となった”MUSIC”・・・。この曲はRFCが生み出した最高の「音楽賛歌」「RFC賛歌」のひとつであると同時に、TEKE2の「白鳥の歌」ともいえる名曲です(いうまでもありませんが「白鳥の歌」とは、白鳥がこの世に別れを告げるときにもっとも美しく啼くという物語に由来するものです)。
 このTEKE2の活動の歩みについて、先日S吉からたいへんに貴重な記録が到来しましたので、まずはそちらをご紹介させていただきます。


 3年生の春頃?アラミスをやめて、yoshimiと2人で活動を始めました。その年の「ジャンジャン」「琉大祭」「きみ歌」は、2人で出ました。春合宿後、4年生になってしばらくは、活動していません。(卒論など忙しかった?)(余談だが、「5大学」は、その年に卒業するメンバーのいるバンドが出場することが多かったように思うのだけど、このとき、4年生だった自分は、学科の方が忙しく、夏が終わるまで、部内にも出ていないようです。)
 秋になって、「Y口」「Y重尾」加入。10月の「学内コンサート」出演。(Drはリズムマシン)。「Long Night(渡辺美里)」「I can forget you」「もう愛は始まらない(松任谷由美)」「おしえて」「みつめていたい(渡辺美里)」
 その後、「Y田」加入。11月の「寮祭」出演。「Long Night」「もう愛は始まらない」「MARIA(稲垣潤一)」
 12月、「琉大祭」出演。「Breake up」「I can forget you」「おしえて」「夜曲(中島みゆき)」「MUSIC」 (アンコール)「Long Night」
 1月、「きみの歌が聞える」出演。「Breake up」「Rainy Night」「おしえて(メンバー紹介)」「MUSIC」
 このあとは、春合宿や、録音がありました。
 あれから20年近くたったけど、本当にたいせつな思い出です・・・

 
 以上、S吉が書いてくれたとおり、TEKE2ののべ2年間にわたる活動は、
①コンビ期・・・‘85年春から’86年春までの1年間。S吉とたまちゃんの2人による活動
②休止期・・・‘86年春から同年夏までの半年間
③バンド期・・・‘86年秋から’87年3月までの半年間。S吉、たまちゃん、H重尾、Y田、僕の5人による活動
と3期に分けることができますが、こうして振り返ってみて改めて驚いたのが、たった半年間でしかなかったそのバンド期の短さです。こんなに短い間だったにもかかわらず、TEKE2のメンバーといっしょに過ごした濃密で充実した日々は、ほんとうに忘れ難く、S吉が書いてくれたとおり僕にとってもたいせつな思い出です。
 なお、バンド名を「TEKE2」と表記していますが、正式(?)には「テケテケ」と読みます。だからバンド名の右端の数字は「指数=二乗」をあらわしています(小泉今日子キョン2方式)。パソコンで指数を入力する方法を知らないため、便宜上「TEKE2」とか「TEKE^2」としています。
 さて、この珍妙なバンド名、一見ベンチャーズの「テケテケサウンド」を想起させますが、まるっきり無関係です。このバンド名については、沖縄地方に古くから伝わる民間伝承を文化人類学的アプローチから丹念にフィールドワークした、一編の「リポート」が起源になっているのですが、その話しについてはまたいずれ・・・。