音楽における一期一会

 ちょっと前の話になるけれど、S吉が送ってくれた1/7付のコメントには、音楽における「一期一会(と僕が勝手に言ってるだけなんだけど)」ということについて、たいへん重要なことが書かれているような気がします。
 ということで、まずはS吉の「蛍列車」の思い出話から。


 「でも、一番衝撃を受けたのは・・・ あれは、たぶん1年生の琉大際の頃、何の用だったか忘れたけど、I村さんと2人(だったと思う)で、夜の部室に行ったとき、部室では錦会が練習していて、(当時は、310が夜10時頃閉まっていたので、コンサート前などは、部室に機材を降ろして、夜中まで練習していた)ちょうど、Fちゃんの新曲「蛍列車」を演奏しているのを聴いたときだと思う。狭い部室での練習なので、音響とかも悪かったはずなのに、すごく良い雰囲気で、しばらく曲と演奏に圧倒されていたように思います。勝手な印象だけど、本番のステージで聞いたときよりも、このときの、”夜中の部室で聞いた「蛍列車」”の方が良かったような気がします。」

 
 僕には、S吉のこの「感じ」、とてもよくわかります。おそらく皆さまにも同様の経験は少なからずおありなのではないでしょうか。
 音楽っていうのはほんと不思議なもので、たとえ同じ曲を、同じメンバーで、同じように演奏したからといって、いつもまったく同じ音楽になるとは限りません。なぜなら演奏する側と聴く側の双方に、その時々の想いや感情、曲への思い入れや微妙なノリなどさまざまなファクターが投影しないではいられないからです。それらさまざまな属人的・時間的・空間的変数が微妙に作用し合うがゆえに、音楽にはその瞬間にしか生まれ得ない「一瞬の奇跡」のようなところがあるのではないかと思うのです。
 だから例えば、演奏する方がベスト・パフォーマンスだと思っていても聴き手には存外たいしたことがなかったり、反対に演奏する側はあんまりたいしたことないと思っているのに聴き手には忘れ難い印象を与えたり・・・。だから今から20有余年前の深夜の部室、たまたまS吉が立ち会った錦会による「蛍列車」の演奏はそんな「奇跡の瞬間」だったといえるのではないでしょうか。だからこそS吉の心に今でも忘れられない印象を残したのではないでしょうか。S吉の思い出話を読んでそんなふうに思った次第です。
 音楽が人の心を弾きつけてやまない秘密のひとつに、ひょっとしたらこの瞬間性、あるいは永続のしなさ、あるいは一期一会というところがあるのかもしれないというのは、ちょっと暴論かなあ・・・。