僕の胃袋を支えし店たち

 在学中、ずっと寮に住んでいたので、いちばんよくメシを食いにいったのはやはり「北食」。ただし、授業のあるときはどうしてもロケーションの関係で「中央食堂」になるのだけど、ほとんどまじめに授業に行かなかったので印象は薄いです。というより、学部の同級生とばったり出会ったりして「お前まだ学校辞めてなかったんか?」などとイヤミを言われるのがイヤで足が向かなかったのです。僕にとって中央食堂は「健康的なキャンパス・ライフを送る学生たちの場所」というイメージで、どうも自分の場所ではないという感じでした。
 そこで「北食」。あそこの「朝定」は180円という金額にもかかわらずまずまずの内容。それからカレーもよく食った。カネがあるときはカツカレーなんてね(今思えばほんとに「薄い」カツだったけど)。
 それから北口近くに「キャンパス」という喫茶店もありました。最初はこじんまりとしたたたずまいだったけど、繁盛したためか、店舗を拡充し、卒業する頃にはかなり広い店になりました。ここはトンカツ定食がうまかった。
 もうひとつ北口近くに「太陽」という食堂もありました。せまい店だったけど値段のわりにボリュームがあって、けっこう学生たちには人気でした。難点は、ここの東京出身と見受けられる親父がやたら話し好きで、しょっちゅう話しかけてくるところ。「マチのうわさ」的な話しになるけど、この親父が「東大を出たたいへんなインテリ」といううわさがあったことを思い出します。「太陽」は北口前の風景を一変させた高速道路工事の後になぜかなくなってしまいました。
 部員たちの中には、昼休みに部室で弁当を食べるという人もたくさんいました。一番人気は東口で販売されていたなんとかいう弁当で、値段は300円ぐらいなのにたいへんなボリュームでした。1コ先輩のU田さん(大分出身)やF原さんがよく部室で食べていたなぁ(ちなみにF原さんという人は、何を食べてもほんとにうまそうに食べる人だった。あれは「至芸」だと思います)。
 そういえば、いま話しに出たU田さんは、時々「ジャッキー・ツアーに行こう」とバイクを持っている人たちと連れ立って那覇のジャッキーまでステーキを食べに行っていました。僕みたいな貧乏学生にとって、「ジャッキーのステーキ」なんてごちそう中のごちそう、盆と正月しか食べられないスペシャル・ディナーという感じなのに、そんな風にふらっとバイクに乗ってステーキを食いに行けるU田先輩がうらやましかった・・・(ちなみにU田さんとコンパの時に一度ケンカになって、「このボンボン!」など暴言を吐いてしまったことがある。僕にこんなセリフをはかせたのは、たぶんこの「ジャッキー・ツアー」に行けなかった積年の恨みだったのです。U田さん、ごめんなさい)。
 というわけで、ほんのたまにしか食べられなかったけど、ほんとに「ジャッキー」の「テンダーロイン・ステーキ」は最高だった。僕はなんといっても「しょうゆ&にんにくパウダー派」、あああヨダレが・・・。
 胸がきゅんとなるのは北口前の「ほかほか亭」。ここのアルバイトと思しきかわいい娘さんが、僕の飢えと貧しさを察知してか、たとえば「から揚げ弁当」を注文したときに、「から揚げ2コおまけしときますね・・・」と、他の客には決してしない(であろうと僕が勝手に信じている)スペシャルなサービスを提供してくれたのでした。ここから「いつもから揚げありがとう、こんどお礼にドライブでも」などという展開になればひょっとしたら違う人生が拓けていたのかもしれませんが、残念ながら僕には免許も金も、それから彼女に声をかける勇気もなかったのです。僕にできたのは「あの娘、オレに惚れてるな」などというありもしない妄想を抱きつつ、から揚げ弁当をぽそぽそと食べるだけでした。
 最後に、最高にうまいカツ丼を食わせてくれたのが沖国大前のなんとかいうお店(店名失念)。ここのカツ丼は盛りがハンパじゃなかった。あれはドンブリ飯というより「カキ氷」。しかし見た目の豪快さに反し、味は決して粗雑などではなく、感動的にうまかった。これで値段は400円。まさに奇跡のカツ丼でした。僕にとって、あのカツ丼は「もう一度食べたいあの味・あの店」のベスト・ワンです(なのに店の名前を忘れているところがおバカ、だけど場所ははっきり覚えています)。