We Wish a Merry ’Xmas

 幼い頃、大阪に出稼ぎに行っていた親父が帰ってくるのが正月前のちょうど今ごろでした。
 親父の帰宅ももちろんうれしかったのだけど、もっと楽しみだったのが親父が持ち帰る土産の数々。今考えればぜんぜんたいしたことない安物のおもちゃやお菓子の類だったのだけど、それでも僕は、妹たちと目をきらきらと輝かせながら土産の詰まった親父のバッグを見つめていたものです。
 親父もうれしそうに「はい、これはお前、これは△△子・・・」と僕や妹に取り分けます。お袋も傍でうれしそうに微笑んでいます。ツリーもごちそうもプレゼントもなかったけれど、それが我が家のクリスマス。家族みんなの笑顔があふれていたあの日の光景を、僕は今でも忘れることができません。


 今日の新聞(勤務先が発行している地元紙)に芥川賞作家の川上美映子さんのこんなエピソードが載っていました。

 
(以下引用)


 ある年の12月。子どもだった川上さんは、母と行ったスーパーで、かわいい白のトレーナーに魅了され、しばらく握りしめていた。だが、母がその自分を見たら、買ってあげられないことをつらく思うだろうと、母親の姿が見えたときにそれをさっと手放した。
 数日後のクリスマスの朝。枕元にあったのはそのトレーナー。うれしさと「母が無理したのでは」との思いから涙した川上さん。「私のたったひとつのクリスマスの思い出は、喜んだ私を見て、本当にうれしそうだった母の顔・・・」。


(引用終わり)


 世間では「100年に一度」級の危機だと喧しいけれど、人と人が支えあい、微笑み合う社会でさえあれば、お金なんかなくったって人は幸せに暮らしていける、というのは暴論にすぎるでしょうか。現に僕は学生時代、金なんかぜんぜんなかったけれど(ほんとうに)、RFCの仲間たちに支えられてほんとうに幸せでした。
 これも今日の新聞に載っていた雑誌(P誌)の広告ですが、「生き方サバイバル」と題して「サブプライム後の資産形成」だとか「不況に強い資格」だとか「大幅値引きマンションいま買うべき?」みたいな特集ばかりです。う〜ん。なんか違うんでないのかなあ・・・。ひとことでいうと「自立」と「孤立」を混同しているというか、あいかわらずこの後に及んでも「サバイバル」なんて「生き残り」「勝ち残り」パラダイムでものを考えているというか・・・。
 今がほんとうの危機ならば、これに対処するためには、幸福の多寡を金の多寡で測るような度量衡と、自立という名の孤立志向をただちに捨て去り、RFC的「共同体」をそこここに立ち上げるしかないのではないでしょうか。


 みなさまに素敵なクリスマスが訪れますように・・・。