いちご白書をもう一度〜一度だけ参加したデモ

 たしか'84年頃だったと思うけど、大学が、それまで常時開放していた学校の東西南門を夜間に限り閉鎖するというようなことを言い出したため、学生自治会を中心に「これは学生の自由な活動を妨害するロック・アウトだ」ということで反対運動が展開されたことがありました。たしか学内にも「ロック・アウトを断固阻止せよ!」だとか「ロック・アウト粉砕!」のような勇ましいフレーズが踊る「タテカン」も申し訳程度にぽつぽつと立てられたのではなかったかしら・・・。
 ところが、このような学生自治会の「鼻息の荒さ」とは対照的に、当時の学生たちの大半は、「ロック・アウトに何か問題でも?」と白々とした態度だったのではないかと思います。それもそのはず、60年代後半から70年代初頭に全国の大学で吹き荒れた「政治の季節」など、とっくの昔に過ぎ去っていたのだから・・・。いくら学生自治会がロック・アウトを「問題だ」と声高に叫んでも、僕ら80年代のプチブルノンポリ学生の関心がそのような行動を起こすはずもありません。
 そんなある日、学生自治会から琉大フォーククラブ(RFC)を含む学内のサークルに、「ロック・アウト反対のデモを学内でやるのでぜひ参加してほしい」という要請がありました。根が真面目な琉大フォーククラブの部員たちは、集会(そういえばこの言葉「政治の季節」の名残りを感じるなあ)で検討を重ね、F原部長の決断によりデモ参加を決定したのでした。
 さて、デモ当日、結局参加したのは僕らRFCの部員が7〜8人、他サークルが5〜6人、自治会関係者が2〜3人と合計で15〜16人程度。デモというにはあまりにしょぼい動員数でした。それでも一応集まったんだからということで、キャンパス内を「ロック・アウトはんた〜い」などと蚊の鳴くような声で練り歩いたのですが、ご存知のとおり琉大キャンパスはやたら広くて閑散としているし、しかも休日だったため、おそらく僕らのデモは、声を届かせるべき学生や教員の目に一切触れることなく終わったであろうと思います。
 しかも異様だったのは、自治会のみなさんが「ヘルメット&マスク」というあまりに時代がかったコスチュームであったこと。「ほんとうにこの人たちは自分たちの主張をマジメに届けようという意志があるのか」と強烈な違和感を感じたことを覚えています。
 ともあれ、参加率の高かった僕ら真面目なRFCは、このデモ以後、サークル活動を仕切っていた学生自治会のみなさま方の覚えもめでたく、琉大祭のときの教室取りなど、何かと配慮していただくこととなりました。
 それから、いつか僕も、娘が大きくなったら、ユーミンの「いちご白書」かなんか聴かせながら、「社会矛盾に憤っていたんだ。お父さんも若かったからねぇ・・・」などと遠い目をしながら語るネタができたという意味ではたいへんにいい経験をさせていただいたのでした。