なんくるないさ〜

 今日の日経1面「春秋」は、あえてタイトル付けするなら「沖縄から学ぶ」とでもいうべきいいコラムでした。
 ちょっと長くなりますが、以下引用します。


(以下引用)
 ・・・6月といえば沖縄にとって戦争の記憶を呼び覚まされる痛恨の季節だ。64年前の今ごろ、本島の守備隊は日一日と米軍に追いつめられ、多くの住民も果てた。悲惨な戦いが終わり、戦後が始まった6月である。
 今も本土に比べて何かと立ち遅れは目立つ。完全失業率や県民所得は全国最下位、学力テストの成績まで散々と聞けば打ちひしがれた印象を抱いてしまう。ところが実際はどうだろう。島はパワーにあふれ、老人も子どももすこぶる元気だ。何よりも合計特殊出生率は1.75。少子化に悩む本土をはるかに上回る。
 経済的自立への道はなお険しいけれど、そこには大きな可能性が潜んでいよう。「命(ぬち)どぅ宝」などと沖縄ではよく言う。命こそ宝物だという意味だ。子どもを産んで育てやすい空気、人を生き生きとさせる気分が、沖縄には漂っているのだろうか。この亜熱帯の島から学べるものは、かりゆしウエアだけではない。
(引用終わり)


 このコラムを読んで、僕は以前ネットで読んだ「メキシコの田舎町の漁師とアメリカのエリートビジネスマンとの会話」という寓話を思い出しました。
 こんな話しです・・・。


◎シーン:メキシコの海岸近くの田舎町に住む漁師が小さな網に活きのいい魚を獲ってきた。それを見たアメリカのエリートビジネスマン・・・
(ビジネスマン)素晴らしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたんだい?
(漁師)そんなに長い時間じゃないよ
(ビジネスマン)もっと漁をしたらもっと魚が獲れるんだろうに・・・
(漁師)自分と家族が食べるにはこれで十分さ
(ビジネスマン)それじゃ余った時間はいったい何をやっているんだい?
(漁師)日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ったら子供と遊んで、女房とシエスタして・・・。夜になったら友達と一杯やりながらギターを弾いて歌う・・・。こんな感じで一日終わりだね
(ビジネスマン)ハーバードでビジネスを学んだ人間として君にアドバイスしてあげよう。いいかい、君は毎日もっと長い時間漁をするべきだ。それで余った魚は市場で売る。お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がって儲けも増える。その儲けで漁船をさらに増やしていくんだ。そしたら市場でうるのはやめだ。自前の水産加工工場を建ててそこで魚を加工する。その頃には君はこのしょぼい村を出てメキシコシティに引越し、ロサンゼルスやニューヨークに進出していくだろう。君はマンハッタンのオフィスビルで企業の指揮を執るんだ
(漁師)そうなるまでにどれくらいかかるんだい?
(ビジネスマン)20年、いやおそらく25年でそこまでいくね
(漁師)それからどうなるんだい?
(ビジネスマン)それから?そのときは本当にすごいことになるよ。(にんまりとしながら)今度は株を売却する。そしたら君は億万長者さ
(漁師)ふ〜ん。それで?
(ビジネスマン)そしたら引退して、田舎の小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、日中は釣りをしたり、子供と遊んだり、奥さんとシエスタしたり、夜は夜で友達と一杯やりながらギターを弾いて歌をうたって過ごすんだ。どうだい。すばらしいだろ?


 まあ、この話しは単なるファンタジーに過ぎないとしても、なかなか含蓄のある話しです。
 世間は世界同時不況、戦後最大の危機などと喧しいけれど、今回の状況は「カネが唯一絶対の度量衡ではないんだよ。ほかにもいろんなものさしがあるんだよ」という気付きを促すいい機会なのかもしれません。たしかにいろいろとたいへんではあるけれど、案外なんとかなるもんですよね(甘いかなあ・・・)。
 「なんくるないさ〜」。沖縄のおばあのようにで〜んと状況を受け入れるスケールの大きさ、大らかさ、見習いたいものです。