みんなバイクに乗っていた

 RFCの部員にもバイク好きの人はたくさんいらっしゃって、思いつくままに列挙するだけでも、ペスさん、T留さん、Mさん、K倉さん、F原さん、I田さん、U田さん、K村さん、H重尾、O山、Y崎、M本などかなりの数にのぼります。
 これらバイク乗りの人たちが、ときどき「やんばるへツーリングに行ってきた」などと楽しげに語り合っているのを耳にするにつけ、僕も例えば海沿いのルート58などをバイクで疾走できたらどんなに気持ちいいだろうと、それはそれはうらやましく思ったものです。

 
 みなさんそれぞれいろんなバイクに乗ってたけど、中でもU田さんが乗っていた「KATANA」(SUZUKI製?)というバイクは、ちょっと近未来的なフォルムでかなりカッコ良かったのを覚えています。それからI田さんはたしか1年の頃にバイクでダンプに衝突するという大事故を起こしたため、しばらく足の中に支柱を入れていたということもありました。

 
 僕の場合、原付免許しか持っていなかったから愛車はヤマハの水色パッソーラ(スクーター)。これを2年生のときに中古でかなり安くで購入し、卒業まで乗ってました。あんまりオンボロだったからしまいにはブレーキが全然利かなくなって、両足を道路に擦り付けて減速するという、決死の「フットブレーキ」のみでこれを制御していたのも今では懐かしい思い出です。
 ある時、バイパスで僕の右前方を走っていた車が、左折しようとウィンカーをつけたので、僕はあわててザザザッ、ザシュ〜ッと盛大な音をたててフットブレーキをかけたものの当然間に合わず、両足を車と歩道の段差に挟まれてしまったこともありました。
 「うぎゃあ」と転倒したままそのへんをのたうち回っていると、車から降りてきたおっさんから「にいさん大丈夫?それにしてもにいさんブレーキかけんといかんさあね」と戒められ(なんか解せないんだけど)、「まあ何かあったらここに連絡しなさい」と名刺1枚を残して立ち去ってしまったのでした。接触当初はそれほどでもなかった痛みがその晩からズキズキしだして、よっぽどこのおっさんに電話しようかと思ったのですが、幸い一晩で痛みも緩和し大事に至らずにすみました。


 そんなことがあったにもかかわらず、その後も僕は相変わらずブレーキレスの水色パッソーラを駆り続け、相変わらず盛大な音でフットブレーキをかけ続け、バイト先のNHK(豊見城)をはじめいろんなところに移動していたのだから、我ながら自分のライディングテクニックには感心するほかないのであります。